こころ深く思いやりのある子ども

鐘の音を心の耳で聞くことから始まる専修寺御本堂での静かなひととき。
仏様を前にお線香を捧げる子どもは真剣そのもの。
専修幼稚園の幼な児を育てる精神の基盤 は仏教の教えにあります。
生命の大切さ、有り難いという感謝の気持ち、自然への畏敬の念、最後までやりとげる気力、お友だちを大切にする気持ちなどは幼な児の心に、まことに純粋に芽生えていくのです。
この時期にこそ、こうした大切な教えをしっかりと育てなければなりません。
そのために毎日の保育の中で種をまきつづけているのです。まだ入園して間もない子が園庭のアリを棒でつついているのをみて、「そんなことしちゃかわいそうよ。アリさんにも弟や妹がいるんだから…」とやさしく教えている年長の女の子の姿。
夏の暑い日、自分だってのどがからからなのに、小さいクラスの子に、先にお水をゆずってあげているの男の子の姿…。
子どもの、ふとしたひとことや行動に、まいた種がふくらんだ様子をみつけた時、私たち保育者はこの上なくうれしく思います。
座禅-仏教の中の瞑想の習慣は、人にこころの落ち着きをもたらします。
専修幼稚園では動(身体)と静(精神)の活動をバランスよく展開するために、この伝統的な手法を取り入れています。
朝の座禅や、昼食前の静寂なひとときは毎日繰り返されます。外を見るための目を、敢えて閉じるということは幼児にはむずかしいことです。
しかしこれを習慣づけることは、やがて自らのこころの中を観じ、しっかりと自分の力で人生を切り開いていく素地となります。

心身ともに健康で意欲的な子ども

私たちの願う、たくましい人間性を育むために、運動は欠かすことのできない活動のひとつです。
専修幼稚園における体育活動の特長的なものの中に、毎朝おこなう体育ローテーションがあります。
本来ならば野山を駆けめぐって自然に培われるべき身体機能の基礎を都会の子どもたちにもなんとか身にけさせたい、という願いからおこなわれています。
本当の野山にはかないませんが、跳び箱、マット、平台、鉄棒などを有機的に配列し、固定のアスレチックと連携させたりして子どもが持っている“動きたい”という本能を満たし、テンポよくそれぞれの遊具に取り組むうちにからだを目覚めさせ、さらにからだのさまざまな機能を、まんべんなく発達させることを意図するものです。
からだの俊敏な動きは、精神構造や人格形成の上にも、大きな影響をおよぼします。
そして、もうひとつ忘れてならないのは、運動によって、子どもたちの気力を育てるということ。
「明日こそ、じょうずに跳ぶんだ」「もっと高くのぼってみせる」目標に向かって挑戦意欲をかきたたせる子どもたち。
努力のあと、目標に到達した喜びと自信が次の意欲へとつながります。
その繰り返しこそが、たくましいこころを培っていくのです。

主体的になんでも取り組める子ども

幼稚園の集団生活の中で、子どもは他の幼児や家族以外の大人の存在に気づきはじめ、しだいにかかわりを求めるようになります。
これが社会性の目覚めです。この過程で、いやなことはやらない、何でもしてもらうほうがいい、いつでも自分のやりたいようにやる、と子どもの好き勝手にしていたらどうなるでしょう。
正しい人間関係を育てることはできません。
正しい人間関係、つまり社会生活に適応する基本的な姿勢はこの時期につくっておかなければなりません。集団の場であるからこそ経験できるチャンスを生かして、毎日の生活の中でさまざまな出来事を取り上げ、秩序の大切さを考えさせます。
お友達がもっているシャベルがほしいからといって、お友達を押してとったらどう…?先生がお話ししているときにひとりで大きな声をだしていたらどうなる…?生活には秩序があり、秩序を守ることが自分も楽しめることにつながっていくことを、ひとつずつ身をもって経験・理解させていきます。
そしてその延長線上に係や当番があったり、さらに年長クラスになると順番にリーダーの役がまわってきて、友達のためやクラス全体のための仕事をしたり、自分のグループの簡単な統率をとる機会が与えられます。
主体性とは決して自己中心的なものではありません。
みんなのためにある自分、みんなに支えられている自分。
しっかり自分をコントロールできる自覚が育って、初めて主体的な行動がとれます。